精神の隠れ家を考える

今日もお疲れ様です。

仕事が忙しいことは嬉しいことだが
特定の嫌な人によって
心が乱されてストレスが溜まってしまいます。
精神的にきつくなるのはわかっているので
できるだけ避けたいし考えたくもないです。

精神的に狂わせてくる相手に対しての
対処法を考えるほどきつくなる。
仕事も手につかなくなっていたし
弱い自分を認めたくないと
戦うだけ自分へダメージが返ってくる。

時間をかけて乗り越えてきたが
たまにドッと疲れることもある。
元々そんなに強くないと
自分の限界を知っているだけでも成長したと思います。

心を乱す原因は自分にある。

仮に心を乱す対象がいて
こちら側が何かを求めたり
避けようとするとバレてしまう。
なにか行動に移すだけで対象に気づかれてしまう。

「だるまさんがころんだ」のように
物事の善悪ではなく
時間をかけてゆっくり消え去る方がいい。

私の自由意志にとって
隣人の自由意志は関係がない。

「幸福論」というタイトルの本が
たくさんあるように
不幸が幸福かも自分次第だということ。

肉体が生きているのに
精神が死んでしまう可能性がある。

こうしてブログを書くことは
静かで安全で解放された
自分の世界に入り込んでいる。
こういう別荘を用意することで
安定感を保っているかもしれない。

哲学が教える通りの
人であることは難しい。
シンプルで
善良で
純粋で
親切で
熱心で
愛情深い
そんな人間でありたいが
そもそも私には信仰心がない。
聖人ではないし
人並の欲望もある。
とはいえ努力することはやめないでいたい。

肉体も考える力も衰えていくし
一日一日死に向かって近づいているのだから
無駄にはできません。
考える筋肉を維持していくためにも
こうして書くことは必要だと思います。

まとめると

悩みの種を自分で蒔いていることもある
つまり「原因自分論」で
気を付けていれば無駄なトラブルは
避けていけるはずだと思っています。

上記の通り
動けば目立つのも然りで
自分から仕掛ける様なことをせずに
じっと耐えながらバレずに突破する。

気づいたときには
手の届かないところにいたりして。

また新しいアイデアが生まれて
いろいろと実験中です。
体が二つあればと思う、今日この頃です。

コメントを残す