人間らしい生き方を考える

儒教の教えである「中庸」とは
中とは何も起きていない平常で
庸は喜怒哀楽の節度を保つ「和」で
中和と同義語であると思っていい。

怒るべきときは怒り
悲しむべきときは悲しむ
喜びもまた然りです。

自分の感情をのせてこの記事を書くようになって
前よりはうまく感情をコントロールできていると思っています。

仕事だけでなく人間関係のなかで
感情的で情熱的な人を冷めて見てしまう傾向にあって
そんなんで夢や目標が叶うはずがなくて
今になって思うのは
熱狂する姿がカッコイイ。


変に斜に構えて世の中を批評していても
なんの生産性もないです。

なんの反応もない冷たい人は
一見ミステリアスですが、魅力的ではありません。

とはいえ、むやみやたらに表現すればいいわけでもなく
適度に表現していかないと
人を傷つけてしまうことになるでしょう。

自分にとっても感情のマネジメントは簡単ではありません。
熱くなることもあれば冷めることもありますし
悩んだり怒ったりすることも多々あります。
それを表に出さないように抑え込むとまたストレスになってしまいます。

うまく表現することは
人間味と適切な言葉使いだと思っています。


さらに、自分の無知を知ること。
無知を受け入れて
慎重に言葉を選ぶことで謙虚さが生まれます。
論理的な思考をもって
謙虚になるべくしてなるようにする。

生半可な知識に慢心している人こそが
トラブルメーカーでマウンターであることが多いです。

全知全能の人間など存在しません。
スーパーマンもアイアンマンも悩みますし
過去の賢人達も例外ではないでしょう。
ここでも努力を続ける大切さを問われています。

哲人ソクラテスはこう残しています。
「知らないのに知っているふりをすることこそ
最も非難されるべき無知ではなかろうか。」と。
知らないことに首を突っ込んでくる人がいますが
それが挑戦であって価値があればまだいいですが
大抵の場合、場をかき乱しています。
最も、非難する人はこういう人種なので矛盾してるようにも聞こえます。

つまり、感情と論理は反対側にあって
そのバランスこそが中庸であると思います。


人間関係は心の鏡で
悲しい時は一緒に悲しみ
うれしいときは一緒に喜ぶことが
基本的な姿勢です。

そんないい雰囲気のチームでありたいし
これからたくさんの人に関わっていく中で
改めて、気をつけたいです。

今日も頑張っていきましょう!

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