楽することを考える

今日は脳がショートして
本を読んでも入ってこないので
いま考えていることを書きます。

この一ヶ月くらい記事を書き続けて
できるだけ多く投稿してきました
日曜は家族の時間を作りたいのでお休みしたり
体調を崩した時もありました。

読みにくい文章だったこともあるでしょうし
感情的だったこともあったと思います。

タイトル通り、賢くも強くもないです。

だからこそ、努力するしかなくて

日頃の業務の中でも
戦うことをやめておとなしく生きていれば
きっと楽で平凡な生活ができるでしょう。

でも、自分が直面している負の連鎖を止めないと
子どもたちが同じ苦労をすることになるので
それだけが許せません。
もちろん、自分が納得しない部分もあります。
原動力は己への怒りなので
苦しくなることも少なくないです。

そんな仕事で日々一喜一憂する父親をみて
夜に「パパはいまから仕事でしょ。」と言わせてしまったことは
寂しくもありますが、これからが勝負です。

こうして継続できたのは、
身近な人から感想をもらえたのが嬉しかったし
自分にもいい影響があったからです。

なにを得てなにを思うかを書いているので
長々と固い内容になっていますが
書いた後はなぜかスッキリしています。

いきなりバズるような内容でもないですが
コツコツと前に進んでいます。
本格的に現場が動き出しましたし
来週は大阪に飛びます。
その次は福岡次は東京と
充実したスケジュールになっています。

これから、いろんな課題に直面すると思いますが
学ぶ姿勢は崩さずに謙虚に頑張ります。

これが自分の弱さを知っている弱者の流儀です。

いつも【いいね!】をくださる
皆さまのおかげです。
ありがとうございます。

今日も頑張りましょう!

実行を考える


いつも仕事をした気にならないように心掛けていて
精神的に消耗することでなにかやった気になって
前に進まないないことは嫌なので
自問自答する日々です。

案件が動き出したこともあって
チームの大切さを感じています。
ひとりでできることにも限界があるので
身近な仲間がいることに助けられています。

そろそろ一人で抱え込むのも難しくなってきたので
スタッフを入れて育成していきます。

こうなるとまた違った悩みが生まれてきそうですが
世界を狙う自分としては
弱気になっている暇はないので
これからもどんどん活動に力を入れていきます。

今までのように闘技場で1対1を繰り返すのではなく
広域戦ができるチーム作りが必要になって
利己的な考え方は一切排除すべきだと思っています。
まずは全員勝たせる。
自分ができることをやるのは当然で
さらにもう一枚も二枚も殻を破っていかないと
目標を達成することはないでしょう。

いままでは自分で達成できそうな目標をたててきましたが
いまは到底及ばない世界基準を目標にしています。

現実はもちろん厳しいですし
やりたことをやるための資金もいります。
いまできないから将来できないわけではないし
あぁしとけばよかったなんて思いたくないので
毎日毎日だしきるようにしています。

夢を追いかけると
なぜか否定から入って揚げ足をとる不思議な国にいる以上
結果が問われてきます。
これから新しい企画も考えていて
楽しくなりそうです。

お疲れ様です。
今日も頑張りましょう!

人間らしい生き方を考える

儒教の教えである「中庸」とは
中とは何も起きていない平常で
庸は喜怒哀楽の節度を保つ「和」で
中和と同義語であると思っていい。

怒るべきときは怒り
悲しむべきときは悲しむ
喜びもまた然りです。

自分の感情をのせてこの記事を書くようになって
前よりはうまく感情をコントロールできていると思っています。

仕事だけでなく人間関係のなかで
感情的で情熱的な人を冷めて見てしまう傾向にあって
そんなんで夢や目標が叶うはずがなくて
今になって思うのは
熱狂する姿がカッコイイ。


変に斜に構えて世の中を批評していても
なんの生産性もないです。

なんの反応もない冷たい人は
一見ミステリアスですが、魅力的ではありません。

とはいえ、むやみやたらに表現すればいいわけでもなく
適度に表現していかないと
人を傷つけてしまうことになるでしょう。

自分にとっても感情のマネジメントは簡単ではありません。
熱くなることもあれば冷めることもありますし
悩んだり怒ったりすることも多々あります。
それを表に出さないように抑え込むとまたストレスになってしまいます。

うまく表現することは
人間味と適切な言葉使いだと思っています。


さらに、自分の無知を知ること。
無知を受け入れて
慎重に言葉を選ぶことで謙虚さが生まれます。
論理的な思考をもって
謙虚になるべくしてなるようにする。

生半可な知識に慢心している人こそが
トラブルメーカーでマウンターであることが多いです。

全知全能の人間など存在しません。
スーパーマンもアイアンマンも悩みますし
過去の賢人達も例外ではないでしょう。
ここでも努力を続ける大切さを問われています。

哲人ソクラテスはこう残しています。
「知らないのに知っているふりをすることこそ
最も非難されるべき無知ではなかろうか。」と。
知らないことに首を突っ込んでくる人がいますが
それが挑戦であって価値があればまだいいですが
大抵の場合、場をかき乱しています。
最も、非難する人はこういう人種なので矛盾してるようにも聞こえます。

つまり、感情と論理は反対側にあって
そのバランスこそが中庸であると思います。


人間関係は心の鏡で
悲しい時は一緒に悲しみ
うれしいときは一緒に喜ぶことが
基本的な姿勢です。

そんないい雰囲気のチームでありたいし
これからたくさんの人に関わっていく中で
改めて、気をつけたいです。

今日も頑張っていきましょう!

原則を守って奇策を打つことを考える

孫氏の兵法に
正をもって合い、奇をもって勝つ
という言葉があります。
タイトル通りの
原則を守って奇策を打てという意味です。

原則というのは
・城を守る
・形成が不利なら全面戦争は避ける
・物資を円滑に調達する
こうして見ると「当たり前じゃん」と思うでしょうが
理解していることと行動は違います。
知っているとやってるでは大きな差があります。


裏を返せば
この基本原則を身に着けてないなら
そもそも戦うなということです。

とはいえ、やることに価値があることは
最近身に染みているので
死なない程度に戦いながら
強くなるしかないと思います。

なにもないところから価値を生み出すことが
こんなに苦しくてもどかしくて
それでも楽しいことだとは思っていませんでした。
焦らず堅実にそう自分に言い聞かせています。


現代に応用して人との会話で言えば
・考えて話す
・しゃべりすぎない
・相手に配慮する
こう置き換えられます。
会話に勝敗はないので、奇策は必要なくて
ただ優しくあればいいような気がしてます。

キングダムでもいい奇策は相手に気づかれません。

たまにマウントをとろうとしてくる人がいますが
相手にはバレバレなことを知ってほしいです。

例えばマウンターのように
相手が仕掛けてきた時には
陣を下げて疲弊させるのがいいと思っています。
奇策には正攻法であしらうことです。
人間関係では仕掛けられるとこっちまで疲れますが
できるだけ相手にしない環境を作ることも
努力すべきポイントだと思います。


原則でもって臨機応変に対応する。
言うのは簡単で実際に自分に落とし込むには
人としての余裕が必要です。
容量いっぱいのスマホには
新しいソフトウェアはインストールできません。
ハードのスペックは努力してあげて
自分に合ったソフトで快適に生活しましょう。

今一度、自分と向き合って改善する。
完璧な人間なんていないと諦めるのではなく
自己ベストを追求していきたいです。

今日もお疲れ様です。
頑張りましょう!

逆算思考で考える

最近物価は上がっていますが
比例して収入が増えることはないし
何もしなければ苦しくなる一方です。

ここ数年、円安の影響からか
外国から買われることを身近に感じます。
世界戦を仕掛けられる設計をしておかないと
一定のラインを超えれない気がしてます。
夢は大きくもって
いま笑われても
気をしっかりもって戦います。


もっとお金の勉強をしていればよかったと
つくづく実感させられます。

頑張っていると当然足を引っ張られることがあって
日本はこういう国なので仕方ないと割り切っていますが
いつまでもくすぶってはいられません。
多少強引に環境を変えていきます。

もとはと言いうと、自分の実力不足で
勉強も仕事もやった気になっていただけで
新たな価値を生んでいなくて
前に進んでいなかった。

正直この現実に気づいたのが
ギリギリ30歳前でよかったと思うか
どこか恥ずかしい気持ちもあって
気づくの遅くねと笑われるかもしれません。

お金のために仕事をしていないというのは
完全な綺麗ごとで、資産家からすれば
労働は作るもので、するものではないようです。
残酷ですが、この現実を叩きつけられて
虚しさと悔しさで寝れなくなりました。


這い上がるにはどうすればいいのか

いまやれることを精一杯やることと
自分がどういった将来像があって
そこまでのプロセスを
高い解像度で描けるかも重要だと思っています。

このままいけば次の世代も
同じ苦労をするどころか
まだまだきつい可能性もある。

この負の連鎖は
断ち切ってしまいたい。

そのためにも
世界戦のための日本らしいデザインを
もっと取り入れていきたいですし、
お金の勉強や外国語の勉強も必須でしょう。

現実に凹まされることもありますが
目の前の幸せも感じながら
目標に向かって行動していくだけです。

今日も頑張りましょう!

経験を無駄にしないことを考える

新しい工法を実際に壁に落とし込んでみて
想像以上の仕上りに
心躍ってます。

なにか新しいものを生み出そうとすると
どうしても全く新しいモノでないといけない気がします。
ですが、新しさは過去からの断絶ではありません。
そこに至るまでの流れがあります。

なぜか既存のものと全く違うプロセスで
進もうとしますが、そんな変化球は誰も捕ってくれません。
全く新しいものは受け止めてもらえないばかりか
当人だけが真新しいと思っていて
なにかに類似していることが往々にしてあります。


今回の工法も
いままで、あれやこれやと試作を繰り返して
「これならいける」とようやくたどり着いたモノで
柄付けもや色の組み合わせもバシッとハマりました。

私は掛け算を繰り返していて
既存の属性や要素・ジャンルを掛け合わせることで
1×1が1以上の価値になることを求めていて
そこにはそれぞれの積み重なった要素があります。
ビジネスだけでなく
新しい工法も【人】も然りです。

ただ見えていないだけで存在している。
他人の視界には入っていても見えていないものがある
その空白に名前をつけ認識してもらうと
そこに価値が生まれます。
思想が芸術になるのはこのことかもしれません。


こうして記事を書くことも
毎日内容を絞り出すことで
新しい知見に触れて
新しい自分に会うことができるツールになっていて
過去の経験があってこそ
吸収して前に進めています。

書くだけでなく見てもらっているので
自分の考えに磨きがかかってきて
表現も変わっているのを感じます。


突飛な策では結果はでないので
いまできることに一生懸命取り組んでいます。
策に溺れないように堅実に進んでいきたいです。

今日も頑張りましょう!

やりたいことと向いていることを考える

好きなことが仕事になって
潤沢な資産があれば
それは幸せなことでしょう。

実際はどうだろう
仕事があって家族がいて
家も車もある。

生活できる要素は揃っている。
余程のことがない限り
なくなることはないです。

それでいて、社会的成功を求めて
より努力するのは傲慢ともとれます。

今は経済的自立を達成して
近い将来、好きなことやるために
今やらなければならないことをやっています。

少年のころからいままで
本当に好きだったことは少年サッカーくらいで
中高の勉強も部活も
仕事やバイトも
心から好きでやっていたことは少なかったです。

だからいけなかったとも思いません。
それは、そこそこの結果をだすことができたからで
その要因はストレスとプレッシャーがあったことです。

家族からの期待や
監督・コーチからのプレッシャー
仕事でも時間やお金、人間関係など
いろんな角度から押し寄せてきます。

何度も体調を崩してきたので
過度のストレスはよくないのは身に染みてわかっています。

それでも、試合でいいパフォーマンスがでるときや
いい仕事をする瞬間は
一定のストレスやプレッシャーを
跳ねのけた瞬間のゾーンに入った時に訪れます。

これを経験すると
憑りつかれたように
さらに追い求めるようになってしまいます。

結果的に成功体験に囚われてしまい
昨日も書いたが状況が変わっているのにも関わらず
自然と現状維持に引っ張られます。

その結果、
いまでは妻や子どもたちに苦労をかけるかもしれないし
周りの人たちにも必ず影響があります。

やりたいことがあるなら
できる環境を作るところから始めて
そのための努力は怠らないこと。

いまの仕事が本当にしたかった仕事かなんてわかりません。
家業だったということもあるし
運命に抗うこともできただろうがしなかった。
つまり、自分で道を切り開くしかなくなりました。

正直、楽してこのまま年を重ねることが退屈な気がします。

なによりも
自分に納得いかないことが多い。
行動力の根源は【自分への怒り】で
未熟な部分が次から次へと出てくる。
自分を責めることで
追い詰められていくのは良し悪しですが。

常に気持ちの浮き沈みはあって
こんなに強く気持ちを維持できているわけではないです。

身近に応援してれている人がいるだけで
毎日頑張れています。

信じてくれるファンを増やすことが
自分の活力になって
回りまわって還元できます。

そう考える人が増えれば
空気がガラッと変わると思います。

今日も頑張りましょう!

職人の流儀を考える

今後新しい発信のカタチを模索していて
クルーをどうプロモーションしていけばいいかを
真剣に考えています。

やりながら改善していくのはもちろんですが
先に自分のスタンスを明確にしておいたがいいので
今回はプロの本質を考えます。


私が思う一流の本質とは
専門分野の中で技術と信念をもっていて
それと同様に理性と責任を背負っている人です。

幸運にも私の周りにはこういった
一流と言われる人たちが多く
多くの技術を得ることができました。

ただ同じ業界内での共通認識を
当たり前だと思っていて
これが大きな間違いであることに気がつきました。

一線で活躍する人たちを見ていると
細かい技術が隠されていて
マニュアルにできない世界なので非常に言語化しずらいものです。
これをセンスといったりもしますが
そこにはまだ価値付されていません。

これが不思議と素人が見ると簡単そうに見えていて
裏を返せば、
この細かな技術をさとられないように
しているとも取れます。

いろんな世界で同じことが起きていて
プロスポーツ選手を例でみても
素人にはわからない駆け引きを
常に繰り返していています。

この乖離を埋めることが
自分のミッションになってくると思っていて
職人やアーティストの当たり前は
一般的にみたらいい意味でぶっ飛んでることが多くて
これまでプロモーションをやってこなかっただけです。


いろんな方々にお会いする度に
それぞれの強烈な個性を感じていて
その面白さを上手く伝えることができれば
その人にとっても自分にとっても
プラスの価値を生むはずです。

私は素人ではないので
プロ同士の攻防をしてしまう可能性もあります。
専門的な技術的な会話は一定数しか理解されないので
いかにリスペクトをもって話して
職人の本質と感情を引き出すか

ここが大きなテーマになってきます。

気を付けた方がいいのは
熟練の職人は素人との会話で
ある程度の段階まで話を合わせますが、
自分の技術の原理原則やこだわりから
逸脱することは許しません。

あまり土足で踏み込んでいってもいけないし
かと言って気を使いすぎるとお互いに固いままで
つまらないものになるので
純粋な興味に身をゆだねるしかないような気がしてます。


これを達成するためには
より一層の努力が必要だと感じています。

残酷ですが人の価値は
なにに熱中しているかで決まると思っています。
私の興味がそそられる人に片っ端から
会いに行きたいと思います。

これからの企画が楽しみです。

今日も頑張りましょう!

いまやれることを考える

もし近日中に投稿がなかった時は
ぶっ倒れているので優しくください。

さて、今日は
自分で自分追い込むマッチョ体質の私が
ぶち当たっている壁について考えます。


疲労からくるネガティブマインドは
汗みたいなもので熱い(暑い)時は自然とでてきます。
体がきつくても不安があっても
それが人生の一片でしかなくて
世界規模宇宙規模で考えればちっぽけなことだと
自分を一蹴しています。

ボロボロで血まみれで歩いてる自分を
演出した方がいいと思っている節もありますが
これは精神的な比喩で
実際そこまでしないと結果はついてきません。

生まれつき耐えられないことは起こらないはずですが
もっとも試練が起こっていることに気づかないような
無知で鈍感な人間ではなにも救えないし
動じないフリをしてるような
恥ずかしい人間にはなりたくないです。

中途半端な覚悟は捨てて
なにもなかったような顔で
駆け抜けてみせます。

ここまでマッチョな考えだと
誰もついてこれない気もしてます。


結果的に自分でやらなければいけない仕事を増やしすぎたので
体が二つ欲しいと常々考えていますが
まだまだスケジュールに無駄が多い状態です。
自分で処理すれば一定のクオリティは維持できますが
おそらく今以上の結果はでません。

目的を達成するために助けを借りる。
助けてもらうことを恥ずにいたい。
戦場でケガしたら助けてもらわないと死にます。
頭で理解していてもできないこともあります。

いまは状況に合わせて自分の役割を全うして
自分自身でやることも誰かと一緒にやることも
社会的にひとつの目標に向かっていければ
会社もチームも前に進んでいけます。

個人的にはこれ以上効率を上げてもメリットが少ないので
少しづつ仕事を分散していきたいと思います。

活動が本格化した今
自分がどうチームに貢献するかを考えると
できるだけ注力して活動の土台を固めて
勢いを止めないことが重要です。
ここにはガッツリ向き合います。


それでも読書をする余裕を作りたい。
ここでの余裕は時間というよりもマインド面で
いい流れの中にいると傲慢になってしまいがちなので
自分を律する意味でも落ち着いて
読書を楽しめる余裕が欲しいです。

いまは少ない時間でもこうして書くために読んでいます。
今日も本屋さんに立ち寄りましたが
以前はただ読みたい本を買っていましたが
いまでは簡潔で分かりやすくて役立つものを選んでいて
大きな変化を感じています。

いろんな課題が降りかかってきて
考え事がたくさんあります。
ルフィのように楽しみながら限界を超えていきます。

今日も頑張りましょう!

環境は人を変えるのか考える

最近、活動が盛り上がってきて
今までにないほど頭がグルグル回っていて
今後の企画や展開を考えながら仕事をしていると
いきなり脳がショートすることがあって
脳が動かないので体も動かない状態になるので
もう少しで覚醒しそうです。

書き続けることの大切さを感じていますし
もっと上手く伝えたいとも思います。
いままで読む側にいた人間が書き始めると
まだ慣れていない部分が垣間見えるでしょう。
ですが、不可能だと思われることでも
やり続けることで習得できます。

これは学生時代に培ったものでもありますが
挑戦と改善を繰り返していい結果がでます。
自分ができないと決めつけているだけのことは
いまでもたくさんある気がします。


なぜここまで取り組めるのか
自分でも不思議な感覚で
数か月前まで「今日は早めに寝よう」が口癖で
仕事に疲れた自分を正当化していました。
たいした価値を生まずに仕事した気になっていました。
いまではかなりマッチョな考え方で仕事していて
以前ような脱成長主義的な考え方はなくなりました。

これは自分の努力で変わったというよりは
環境がそうさせただけだと思っています。

家庭的な変化もありますが
プロジェクトの運営だったり
目の前の仕事の質であったり
結果が求められているなかで
いろんな形の歯車がかみ合わさって
さらに油がのって
高速で回りだしたのが今です。


以前変化のストレスについての記事を書きましたが
目まぐるしく進んでいくので
感覚が少し麻痺していてふわふわしているのも確かです。
地に足付ける意味でも
こうして考えをまとめておかないと
おおきなミスに繋がるので気を付けたいです。

いまはなにをすべきかハッキリと見えるので
真っ直ぐに進んでいきます。
もし行く手を阻むものがあれば
大事なものを守りつつ前進して
仮に見えなくなったら立ち止まって考えます。

こうして考えてみると
自分の邪魔をしてきたのは自分であると気づきます。
現実を幸せか辛い時期か
どう思うかは自分次第です。

実際は疲れているだけで不幸ではないのに
そんな気分になってしまう。
そういう時に限って余計なことをしてしまうものです。

日々の実務をこなしながら、同時に考える。
非常に体力のいることですが
知識をもっていることから生まれる自信をもちつつ
自然体で取り組んでいきたいです。

今日も頑張りましょう!