情報の質と量を考える

ここ数年の情報の質と量の変化について考えます。

まずは数年前はニュースも見ず勉強もせず
仲間と遊んでは少し寝て仕事しての毎日でした。

元々読書は好きで取り組んできましたが
知識をいれるだけで使ってないので
どんどん風化していきます。
読んだ気なっていただけでした。


結婚してからフェーズが変わって
今のままでは暮らしや教育の質を維持できないと思い
勉強の量を増やしてみました。

結果は全く変わらず。
ここでの結果は収入のことです。

自分への投資という名目で
本や教材、講習費に使いましたが
すぐに思うような結果はでません。

今になって考えると原因は単純で
行動を起こしていなかったことです。

情報をとにかく多く入れていた時期は
ニュースアプリにビジネス系動画コンテンツと
オンラインサロンと読書。
とにかくお腹いっぱい食べてさらに食べる生活で
ただ大食いができるようになっただけです。

頭でっかちになって
中途半端な挑戦で終わっていて
まさに鳴かず飛ばず。

何度も何度も企画やコンセプトを
試してはバラしてを繰り返していました。

自分に似合っていなかったり
しっくりきてないとすぐ飽きてしまいます。
とにかく、1年ちょっと前までもがいていました。

頓挫したものはたくさんありますが
それでも挑戦と変化を続けて
やっと、今のカタチに行きつきました。

やっと熱量をキープしながら
目の前のことに集中できる環境を
作ることができました。

以前は1冊ずつ読んで納得して終わりでしたが
最近は書くテーマに沿って読んでいます。
出す前提で入れているので
非常に代謝がよくてスッキリしています。


数年前からテレビを見る習慣がなくなりましたし
ニュースアプリも見ません。
ですが、最低限必要な情報は入ってきます。
ウクライナのことも感染症のことも
こっちから取りにいかなくても
社会的に大切なことは自然と入ってきます。

Netflixなどは見始めると止まらないので
できるだけ見慣れたものを見ています。
途中で見るのをやめてもストレスになりません。
この同じものを何度も見る癖は
子どもにも遺伝してしまいました。

ゲームは下手くそなのでほとんどしません。
オンラインゲーム内で普段言わないような言葉で
相手を罵ったりするのを見ると恐怖でしかないです。
おそらく私はメタバースのような仮想空間では生きていけません。
目の前の現実があって尚且つ痛みを感じることに
生を感じているので
実用的なテクノロジー以外にはあまり興味が湧きません。

NFTやVRの世界を毛嫌いしているわけではなく
現実の人間関係で悩んで塞ぎ込んで
仮想空間上に全く新しい価値を求めてみましたが
調べていくうちに
やっぱりリアルで会って
酒飲んで笑って死んでいきたいし
それが自分に合っていると思いました。


回りまわって
仲間と笑いながらお酒飲んで楽しんで
仕事に本気で取り組むことに戻ってきました。

いまこの瞬間、現実、リアルを感じて
生きてくことが性に合っていたようです。

もちろん、精神的にも肉体的にも痛みが伴います。
夜はきついし、朝は眠いし、仕事の損失もでる。
当たり前だけどそれが生きるということ。
人間らしく毎日泥臭く生きていきます。

今後、以前に描いた企画や夢が
現実になる日がくるかもしれません。
努力は無駄ではなかったはずです。

今日も頑張りましょう!

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