言語起源論から「伝える」を考える

シャビー

こうしてブログを書いていますが
長文を読み解くことの体力は
普段から読んでいないと身につきません。

私は読書でインプットしているので
文章でまとめる方が楽です。

ですが、多くの人に伝えることを考えると
いまではYoutubeや音声メディアが主流になり
文字ベースでは限界があるようです。

聖書を配っても読めなければ
経典としての機能を発揮しません。


言語起源論から学ぶ

今回は人類の言語の起源から
伝える術を考えます。

参考文献はルソーの「言語起源論」です。

さて、我々人間はどのような伝達手段をもっているのかを考えます。
他者に影響を及ぼす一般的な方法は
声と動作】です。

特に身振りや形などの
目で物事を伝える方法がより表現力があり多様です。

この段階でもうYoutube一択な気がしますが、続けます。

それに比べて文字は
時代や文化によって変化しています。
古代文字を現代人は理解できないことが
それを表しています。

文字のいいところは
確実性】です。
古代人は記号にして示すことが多くが
時代が進むつれ、自然と言語はより正確で明晰で冷たくなった。

人は耳よりも目に対してよりよく語りかけるようです。

しかし、心を感動させ燃え上がらせるのは
一目ですべてが見える状態ではなく
相手の耳を捉えることにある。
パントマイムよりも抑揚のある弁舌の方が
感情を意に反して動かす力を持っている。
もし動作の方が心を打つとしたら
政治家は車の上で黙ってパントマイムをするだろうし
反対にアドルフヒトラーは天才的な演説で民衆を動かしました。
さらに音は色と組み合わさることで強力になります。

つまり、記号(文字)は模倣をより正確にするが
関心は音によってかりたてられる。


私がいる業界はマニュアルがなくて
見て覚えろでやってきましたが
言語化したマニュアルの大事さを感じます。

やはり、この文字ブログだけでは
理解は得られても、関心は得られない。

言葉とは、なにか物事を表現するよりも先に
人間の精神的欲求に由来しています。
最初の情念が産んだ声は
【愛・憎しみ・怒り】です。

狩猟時代から自然と抑揚や声で表現し
歌のように情熱的なものになったのである。

文字を書く技術と話す技術は
別種の発展を遂げてきたので
分けて考えていいと思います。


結論
このブログを声で解説する必要がある。

文字ベースのアウトプットは続けていきながら

読めと言わんばかりの書きっぱなしブログでは
優しくないので
忙しい人のために音声でもお届けしたいな。

おつかれさまです。

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